ハーレムで寿司を握っていた男の話を、聞いてほしい。

ハーレムで寿司を握っていた男の話を、聞いてほしい。

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ハーレムで寿司を握っていた男の話を、聞いてほしい。

数年前、私はニューヨークのハーレム地区にいました。
中嶋邦秀シェフがまだ「NAKAJI」を出す前、SUSHI INOUEの看板シェフとして握っていた頃の話です。

当時、ハーレムは再開発が進み、観光客や白人層も増えていると聞いていた私は、正直、少し安心して現地に足を運びました。

でも実際は違いました。
降り立った駅、歩いた街並み、入ったレストラン。
そこにいたのは、黒人の方々ばかりで、私は唯一のアジア人。

レストランに入った瞬間、全員の視線が「なぜここに?」と私に向けられました。

背筋がピンと伸びる、そんな緊張感。

そんな場所で、ただひとり、江戸前寿司を握っている日本人がいる。その事実を目の当たりにしたとき、胸が詰まりました。

その店のカウンターに座ったとき、中嶋さんが、飾られた木製の古いメニュー表を指さして、こう言いました。

「これは、祖父の代から引き継いできたもの。
俺はこの看板に恥じない寿司を握るって決めてる。」

店内の写真
祖父の代から引き継がれたメニュー表。代々続く「寿司への誇り」が、今もNAKAJIのカウンターに生きている。(撮影協力:NAKAJI)

NYに「NAKAJI」を開く──受け継いだ誇りを胸に

やがて中嶋さんは、自分の店「NAKAJI」をNYにオープン。

その真新しいカウンターにも、当り前のようにあの看板がしっかりと掲げられていた。

NYで寿司を握るということ。

しかも、寿司にキャビアなんて邪道だ、と思っていた彼が、ある日、私たちのキャビアを食べて、一言こう言いました。

「……これなら、俺の寿司に出せる。」

それは、「変わった」というより、「信念に納得できた」という瞬間だったのだと思います。

このキャビアなら、江戸前の流れに溶ける。
俺の寿司に恥じない。
だから出せる。

職人として、料理人として、そして人として。

中嶋邦秀という人に出会えたことを、私は今でも誇りに思っています。

中嶋シェフの今 → @NAKAJInyc (Instagram)

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